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結城天鼓(YUKI TENKO)

日本・中国水墨交流協会顧問
中国文化部中国画研究院院務委員会栄誉委員

1935年 山形県生まれ
1984年 日中水墨交流協会理事(90年常任理事就任)
1987年 社会を明るくする運動で保護司会より東京都知事賞受賞
1988年 日中水墨合同展で日中友好協会賞受賞
1989年 フランス版画賞・マルジス賞受賞
日中水墨合同展で科学技術庁長官特別賞受賞
1990年 日中水墨合同展で運輸大臣特別賞受賞
1991年 文部大臣特別賞受賞
1995年 日中水墨合同展で駐日本中国大使賞受賞
1996年 厚生大臣特別賞受賞
日中水墨交流協会副理事長
1998年 日中水墨交流協会副会長
2000年 日中水墨交流協会顧問就任
日本中国文化交流協会 会員

現代日本芸術協会 名誉顧問
東京矯正管区 篤志面接委員
松戸オリエント協会 会員
社団法人 青少年育成協会 会員
日芸書道連盟 客員理事
台東区文化人の集い 創立委員

<著作>
句集「鳥鷺」、随筆集「五石十水」
版画「京のまつり」共著
絵本「小さないのち」共著、他

  

俳画のこころ

俳画は水墨画の一分野であり、水墨画は、俳画に始まり俳画に終わるといわれています。減筆と紙白の美しさは俳画の魅力であり、日本人の美意識の表現であり、外国にその類例を見ない独特の美術です。

古来、文人墨客の筆のすさびとして、多くの人に愛されてきましたが、第二次大戦の後、色彩の世界がもてはやされ、俳画もその影響をうけ、色彩を多く使ったものが、その主流を占めるようになりました。

しかし江戸時代、俳諧草画として出発したことを考えれば、筆勢のみだれを色彩でごまかすごときは、してはならないことなのです。 又、俳画の即興性、墨の黒と紙の白の一瞬の定着こそ、俳画の持つ特性と考えるならば、木炭やエンピツで、下書きをすることも、してはならない事だと思います。「ごまかし」の入る隙のない画としての俳画は、それを描く人の人格こそ一番重要なことであり、少なくとも俳画を描いている時間は「ごまかし」の心を追い払い純正な心で臨まなければなりません。緊張のあとの開放感こそ、俳画を描く人の最大のよろこびなのです。 制作するのに先人の模倣のみでは、生きた俳画とはいえない。今生きている時代を適格に把えた作品であるべき。だから鮮度が大切です。

俳画は、日本人が襟を正した姿の象徴であり、たくまざるヒューモアの発露でもあり、深い人間愛に目指したものなのです。

どんな道を歩いてきたか

1935年 12月18日 山形県柏倉門伝村で生まれる 父正雄 母なつよの三男

1953年 山形工高工業繊維科卒業

 〃 年 大同染工株式会社入社

1955年 四条円山派 内山洋寿に師事

1959年 多摩美教授 大西憲治郎に師事

1961年 ジュンデザインスタジオ設立

1966年 中川照光と結婚

1971年 松尾捺染株式会社 意匠顧問となる

1973年 俳画教室 稚心会を創立 天鼓を名のる

1984年 日中水墨交流協会 理事就任

1990年 日中水墨交流協会 常務理事 日中展審査員

1991年 日中水墨交流協会 運営委員就任

1996年 日中水墨交流協会 副理事長

1998年 日中水墨交流協会 副会長

作品収蔵

台東区、越谷市、大分大学、赤間神宮、南光寺、長寿院、眞浄院、法門寺博物館、天津美術學院、北京師範大学

     

  

受賞歴

1987年 社会を明るくする運動で保護司会より東京都知事賞

1988年 日中水墨合同展で日中友好協会賞

1989年 フランス版画賞 マルジス選賞

 〃 年 日中水墨合同展で科学技術庁長官特別賞

1990年 日中水墨合同展で運輸大臣特別賞

1991年 日中水墨合同展で文部大臣賞

1995年 日中水墨合同展で駐日本中国大使賞

1996年 日中水墨合同展で厚生大臣特別賞

     

画文集

《俳画 天鼓画文集》
1999年7月24日 発刊
上製:B5判 66頁 俳画52点掲載

南光寺襖絵




【スナップ集】







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